山陰スピリチュアル紀行
粟島(あわしま)神社~鴨御祖(かもみおや)神社~エンヤキッチン~米子まちなか観光案内所
今回の神社巡りは鳥取県米子市彦名町・粟嶋(あわしま)神社に集合! 御祈念の後、宮司さんのお話を聞かせて頂きました。


「彦名」の地名は、神様の名前だそうです。『日本書紀』には、「少彦名命は粟嶋から常世に飛び立った」と書かれていて、それが粟嶋神社だということです。
また、『伯耆國風土記』によると、粟の穂にはじかれて常世に渡ったことから【粟島】と名付けたとのことです。このこんもりした森は江戸時代まで離れ小島だったそうですから、参拝は船で行くところだったのでしょうね。
島の周りは薬草が多いとか?(見る人が見ると分かるそうです)

187段(!)の石段をふうふう言いながら上ると、伊勢神宮の遥拝所、社殿のうらには出雲大社の遥拝所がありました。

これは、境内修理のバラスです。
石段の下から持って上がりました!


本殿に参拝の後、後ろにまわると中海の水鳥公園が良く見えます。天気も良くて、周辺の景色が最高!
ご存知の方もいるかもしれませんが、少彦名命は一寸法師のモデルになったとされる小さい神様です。『古事記』には、「ガガイモの舟に乗って御大之御前(美保岬)に寄りつく神あり」とあります。
小さい体で舟を漕ぎやってきて国造りをし、医療や酒造りを広め、またはじかれて常世に行ってしまった、なんて健気な神様なんだと思ってしまいます^^


粟嶋の周辺は
◆大岩宮・・・少彦名命が御着きになった所の岩
◆静の岩屋(志都之岩屋)・・・江戸時代中期・八百比丘尼(やおびくに)伝説(延命長寿の守神です)
など見どころ満載!です。
水鳥公園と合わせてお散歩や自然観察などできる場所ですのでお勧めですよ!
所在地:鳥取県米子市彦名町1405
次に訪れたのが、鴨御祖(かもみおや)神社です。往古、山城の国(現在の京都)・糺(ただす)の森にあります賀茂御祖神社(下鴨神社)を勧請して、糺大明神と言われました。
2度の火災を経て江戸時代に現在の地へ移されたそうで、元は博労町にあったそうです。通称は「糺さん」。


[※このカッコ内は私、松本の妄想と聞きかじったものが入り混じりますが、きちんと調査したものではないことをご承知くださいm(_ _)m。
この辺りは旧米子の町と弓浜部の村々との境界にあたります。京都の糺の森もうっそうとした原生林が広がるそうで町と森の境界に神社。
昔から境界には何かこの世と別のものが寄りつくとされていたそうで(米子市のHPには【糺坂の怪】【キツネの遊女】などゆかりの民話が載っています。粟嶋さんの民話もあります!)、糺さんと呼ぶお社を立てて御守りいただいたのかなぁと。
すると元にあったとされる博労町も境界だったのか!? イメージ的には境界っぽいですが未調査です~m(_ _)m どなたか知っていたら教えてください^^]
所在地:鳥取県米子市立町4-19

所在地:鳥取県米子市加茂町2-180(国際ファミリープラザ内)
午後のコースは街歩きガイドの川越さんのご案内で小路(しょうじ)を紹介して頂きました。
米子に住んでいてもうっかり忘れそうになるのですが、れっきとした城下町だったんですよね!

加茂川に架かる京橋は、お殿様がお城から京に上る際、最初に渡った橋で、京橋の名前が付きました。
初めて加茂川べりを歩いて見ました。海船問屋、後藤家住宅・・・1700年代の始め建築された母屋、重要文化財です。

寺町は、420メートルの間9つの寺が民家無く一直線に並ぶ街並みは全国的に珍しいそうです。


沢山の小路の中で、ここは手島小路です。狭い小路ですね! お茶屋、料亭、待合などに行き戻りする政財界の名士や、お店の旦那衆などで賑わったそうですよ。ここから遠くに米子城址が見えます。


このシャチホコは、米子城小天守の傷みがひどくなり嘉永5年に鹿島本家・分家が費用の全額(1萬両とも)を肩代わりして、石垣を含めて解体修理され古いシャチホコは記念として両鹿島家に渡りそれぞれ保管されています。
1時間がアッと言う間でとても楽しかったです。米子まちなか観光案内所さんは他にも色々なコースで案内されていますよ!

触ってみました。

高さ92センチ! 本物です!

所在地:鳥取県米子市灘町1-19
この日は、過ごしやすくいいお天気での神社巡りでした☆

(2019.06.25)
協力:社☆ガール 舩越 さちよ&松本 明代
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。