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山陰スピリチュアル紀行

安来の月山

尼子神社 ~ 勝日高守神社 ~ 富田八幡宮 ~ 喫茶 燈(あかり)

今回は、安来の月山に登り神社巡りをしたレポートをご紹介します。


月山富田城跡戦国大名・尼子氏の本城跡として有名ですが、尼子氏滅亡後に毛利が手を加え、更に関ケ原合戦後、掘尾吉晴、忠氏親子によって大改修が行われています。最初に安来市観光ボランティアガイドの脇本さんから月山富田城跡のレクチャーを受けて出発です!

月山富田城は難攻不落の城だったそうです。攻めるには3カ所の登り口がありますが、山腹の途中で合流するので、敵を攻撃しやすいということでした。ちなみに、私たちが登るのは観光用に造られた道です。

尼子神社

 

ご祭神は尼子三代城主。ここから見える山の1つを京羅木山(きょうらぎさん)といい、1542年~1543年の大内氏・毛利氏による第1次富田城攻めの時の大内氏と毛利氏の拠点になりました。1565年~1566年の毛利氏による第2次富田城攻めの時は、京羅木山の右隣にある勝山が毛利氏の拠点になりました。この勝山にはその時の立堀の跡が残っているそうです。

山中鹿介(やまなかしかのすけ)像

 

尼子きっての名将・山中鹿介は三笠山にかかる三日月を拝み「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったと言われています。鹿介没後400年を記念して昭和53年に建立されたこの像は、まさに三笠山の方を向いているのだそうです。

花の壇

 

薬草などを作っていた所だそうです。発掘調査によって発見された建物跡を基に復元された、当時の侍所もありました。この侍所の下には石が敷いてあり、屋根から落ちた雨が流れるようになっている雨どいなのだと説明してもらいました。

勝日高守神社

 

この後訪れる「富田八幡宮」の奥宮です。ご祭神は大国主命。『出雲国風土記』には「加豆比高守神社」と記される古社であり、尼子時代は代々城内の守り神として厚く信仰されていました。

 

所在地:島根県安来市広瀬町富田782

富田八幡宮

 

ご祭神は応神天皇。当初は月山に鎮座していましたが、藤原景清が月山頂上の勝日高守神社を城内鎮守としたため、別に霊地を求めて現在の地に移したそうです。景清が神社を移す場所を何処にするか、月山から白羽の矢を空に向かって放った所、大きな松に刺さりました。「ここが天が示した場所だ」として神社を移す事に決めたそうです。その場所は現在「矢中の松(やたてのまつ)」と言われています。

拝殿(入母屋造り)に本殿(流れ造り)、能面二面、拝殿天井の泣き竜県の文化財に指定されています。泣き竜の下で手を打つと、雨の日は音の響きが悪いそうですよ。

所在地:島根県安来市広瀬町広瀬86-14

喫茶 燈(あかり)

 

伯太町にある、燈さんで昼食を頂きました。メニューは日替わりランチやキーマカレー。とても美味しく頂きました。

所在地:島根県安来市伯太町東母里243-14

(2022.01.21)

協力:舩越 さちよ(社☆ガール)

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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