山陰でおすすめの観光スポット・お土産まとめ

全国に現存する12天守のひとつで、平成27年7月に国宝として指定された【松江城】。
今回は松江市で生まれ育った、地元民のまいぷれスタッフがその松江城の魅力とポイントをご紹介します♪

建城年:1607年(慶長12年)~1611年(慶長16年)
まめ知識:慶長とは安土桃山時代から江戸時代にかけての激動の時代
別名:【千鳥城】
千鳥が羽を広げたような曲線の屋根【入母屋破風(いりもやはふ)※】が、東西南北の四方に乗っているため呼ばれるようになりました。
見た目:
黒く厚い雨覆板でおおわれており落ち着いた佇まいで、歴史情緒が感じられます。
知っておきたい情報:
日本に現存する12天守【現存天守】のひとつとして数えられており、広さは12天守中第2位、高さは12天守中第3位を誇っています。
まめ知識:現存天守には、松江城を始め、兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城、長野県の松本城などがあるよ!

※入母屋破風(いりもやはふ)

堀尾吉晴像
1 松江城の建城を担った家系 堀尾家三代
【慶長5(1600)年~寛永10(1633)年】
松江開府の祖・吉晴 初代藩主・忠氏 二代・忠晴
豊臣秀吉、徳川家康と2人の天下人に使えた堀尾吉晴は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦功により、隠岐・出雲24万石を得て、現在の安来市広瀬町の【月山富田城】に入城しました。
月山冨田城は戦国時代には“難攻不落の山城”として知られていました。その立地ゆえに『周りに人や物が集まりにくい』城でもあり、領国の統治に向いていませんでした。
そこで吉晴は、宍道湖の東端に位置する小高い山・亀田山に新たな城を築くことにしました。5年の歳月をかけ、1611年(慶長16年)松江城を完成させます。松江城こそ、「城下町・松江の繁栄の礎」と言えるでしょう。
巡りポイント!
月山富田城で使われていた木材を再利用されたとされる痕跡が残されています。
天守の1階に展示されているので、要チェックです✨
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京極忠高姿絵
2 最大の領地を治め、治水事業で功績 京極忠高
【寛永11(1634)年~寛永14(1637)年】
堀尾忠晴が29歳で死去した際、彼の正式な後継者は決まっていませんでした。そのため、堀尾家は改易(お家断絶)となり、若狭小浜藩主の京極忠高が新たな松江藩主となりました.
忠高は、氾濫を繰り返す斐伊川の改修を進め、現在の出雲市武志町に「若狭土手」を築きます。この工事を契機として、斐伊川は宍道湖に流れ込むようになったと言われています。
また、天領(幕府直轄領)の石見銀山の監督権を与えられるなど、歴代の松江藩主の中でも最大の領地を治めましたが、3年余りの短い統治でした。
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松平直政像
3 十代にわたり松江を支え続けた 松平家
【寛永15(1638)年~明治4(1871)年※廃藩置県の年】
初代・直政~7代治郷(不昧)~10代・定安
京極忠高の死去により、信濃松本藩主だった松平直正が出雲国を拝領します。
藩の財政は年貢米による収入のみでは立ち行かず、拝領当初から財政難でした。七代藩主・治郷の時代には財政は破綻そており、治郷はそのため商品性の高い木綿や朝鮮人参、楮(コウゾ)、櫨(ハゼ)などの生産を奨励するとともに、鉄の生産を統制していきます。
これらの施策により財政再建は成功しました。治郷は茶人としても知られ、「不昧公好み」と呼ばれる松江の茶道文化を創り上げました。(そのため、松江藩の財政は再び悪化したとも言われています。)
松江松平藩が幕末まで続きます。十代藩主・定安の時代(明治4年)の廃藩置県により、松江藩は消滅しました。
巡りポイント!
当時14歳であった直政は、大坂冬の陣で初陣ながらも力戦奮闘し、敵将真田幸村からその武勇を讃えて軍扇を投げ与えられたといわれています。
天守の二階に初陣姿の彫刻の写しが展示されているのでチェックしてみて下さいね♪
まめ知識:松江藩の終わり 松江城天守を守った市民たち
明治時代となり、全国各地の城に「廃城令」が下されます。これにより、多くの城が払い下げ・取り壊しとなりました。
松江城も櫓や御殿は取り壊され、天守も「180円(当時)※」で売りに出されました。その際、地元の豪農・勝部本右衛門と旧藩士・高城権八らの尽力で、落札額と同額で買い戻されました。
同じ頃、米子城も払い下げられ、数年後には取り壊されています。この人たちの頑張りが無ければ、松江城も単なる「城跡」になっていたかもしれませんね。
※文献によって異なりますが、明治時代の1円は現代でいうと2万円くらいの重みがあり、180円は現代では約360万円ほどと考えられています。

城山に入れる入口は5つありますが、今回は王道の【大手前コース】をご紹介します♪
実際にまいぷれスタッフが侵入を試みました( ̄▽ ̄)
【大手前コース】
目安時間:天守まで徒歩5分
駐車場:大手木戸門跡の目の前に【市営松江城大手前駐車場】があります。土日限定で、おもてなし駐車場に駐車することも可能です。

ポイント:大手木戸門跡の目の前には松江開府の祖であり、松江城を建てる立役者となった人物である、【堀尾吉晴】の像が設置されています!
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まず大手木戸門跡をくぐると、【馬溜】という1辺46mほどの広い平地に入ります。
西側にある高さ13mの高い石垣や、南・東側の石垣の堀、更に内側の高さ1mほどの腰石垣による土塁でこの平場を四方から守っていました。
ポイント:この入り口の形態は【桝形】と呼ばれるもので、敵兵の直進を防ぎ、侵入の勢いを弱める機能と、出撃の際にこの馬溜に城兵を待機させ隊形を調える機能を果たしていたようです。
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馬溜を抜けると、右手側に観光案内所があります!
松江城やその周辺のパンフレットは勿論、松江市全体の観光地のパンフレットを手に取ることが出来ます♪
手荷物を無料で預かって頂く事も出来ますよ!

松江城に上がるなら脱水・熱中症対策に水分は必須!
観光案内所にある自動販売機は武者のイラストがラッピングされたお城ならではのデザイン♪ドリンクを買うと武者の声が聞こえてきます!
またこちらの自動販売機では書下ろしの御城印を購入することも出来ますよ♪
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馬溜を抜け直進!…出来ずまたもや左に曲がります。
ここでも直進させない作戦です。
そして目の前には二ノ門への階段!勢いと体力をそがれつつ、階段を上って行きます。
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階段を上ると石垣に関する看板が目に入ります。
松江城の石垣にはいたるところに【刻印】という記号のようなものが刻まれており、工事の分担や石切り場の区別など工事を円滑に行うためのしるしとなっています。
宝探しのようで楽しいので、皆さんも是非探してみて下さい♪

看板の近くに早速発見!
この紋は分銅紋といい、松江城を築いた堀尾家の紋です。
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二ノ門跡をくぐり、二之丸に侵入します。
天守に近づくにつれ曲道が多くなり、さらに鉄砲狭間からの攻撃により勢いはどんどんそがれていきます。
二之丸には当時の名残や建物もあるので、少し寄り道してみてみましょう✨

鉄砲狭間(てっぽうざま)
侵入してきた敵を狙うための狭間(さま)です。二之丸にあるものは、先程通ってきた馬溜や二ノ門までの階段の攻めてきている敵を攻撃する為にあります。

太鼓櫓(たいこやぐら)
城内に時刻や号令を告げる太鼓が置かれていた平屋建ての建物です。
ポイント:ここに置かれている太鼓はレプリカで、本物の太鼓は天守二階に展示されているよ!

興雲閣
松江市が松江市工芸品陳列所として1903年に建てた建物で、当初は、明治天皇の山陰巡幸の際の行在所に充てるべく計画されたものです。
ポイント:当初のレトロで上品な雰囲気が残されているよ!

松江神社
松江の有志により松平直政公を御祭神として1877年に現在の松江市西川津町に楽山神社として創建。
その後、1899年に松江城二之丸に遷座して、社名を松江神社と改めました。ご利益は家業繫栄、厄除開運などが上げられ、社内では御朱印を頂く事も出来ます。
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一ノ門も抜け、ついに本丸へ!松江城天守がついに目の前に現れます!
広々とした一ノ門には、多くの木々が植わっています。
城山の自然と天守の黒色が映え、美しい景色を堪能することが出来ますよ♪

休憩所
本丸につき、天守に入城…の前に少し休みたい方は、こちらで休憩することが出来ます。
お城から出た後に休憩される方も多いですよ♪

本丸に入ってすぐの所に券売所があります。
大人は¥680、小・中学生は¥290。
※2024/07/29時点
チケットは天守に入城する際にスタッフの方へ見せてください。
本丸券売所では、各種クレジットカード、交通系ICカード、QUICPay、楽天Edy、WAON、nanacoなどがご利用いただけます。
詳しい情報はコチラ
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。