神は罪を裁く〜生活習慣病に思う
セラピースペース ながしま

道で見かけた看板の言葉
道をバイクで走っていたら見かけた張り紙。
「神は罪を裁く」
おそらく人は裁かず救済対象だけど、罪自体は裁かなければならないとかそういった理由なのでしょうね。よくわかんないですけど。
まぁ、人が罪を犯した場合、「罪と人の反応」や、その結果を別に考える事が可能なのかと言った突っ込みどころもありそうには思いますけれど。
だけど、根本的に間違っている気がするんです。
私の感覚ですよ。
人は、天災に対してなすすべが無い場合が多くあります。
こういった場合、人の脳は何か納得できる理由を見つけなければ落ち着かないのです。
脳の情報処理は、何か不都合なことが起きた時に、原因を仮定し、原因と考える事を記憶し、その記憶によって次の行動選択にバイアスをかける方法で地球上で適応する手段を模索してきたのです。
繰り返しますが、脳は、なにかしらの理由を見つけないと気が済まないような情報処理システムなのです。
そのおかげで、環境に適応して生存してきたという事実もその情報処理をさらに強固にしているのです。
天災の場合、本来、天災ですから理由など在りはしないのです。
その理由について自分が悪いと言った自罰的(自責的/内罰的)に考えた場合、何かを行ったからその罰でこういったこと(天災)が起こったと考える事になると思うのです。
そうするとですね。
そういった、なにか悪いことをした自分に対して罰(天災)を与えている「誰か」が必要になるのです。
先に書いた様に、脳は起きた現象に対して何か理由をつけたがるのです。
そうして脳がつけた理由、それが、「神」といわれるものなのだろうと思うのです。
ですから。だとすると、違いますよね。
つまり、
「神は罪を裁く」のではなくて、
「罪を裁いているように見えるものを神と呼ぶ」
ということなのです。
逆なんです。
実は、同じようなことが医療の世界でもみられます。
例えば、糖尿病などは以前は成人病として分類されていたのですが、個人の生活習慣によるものだということで、生活習慣病に分類されました。それに伴って、個人の生活習慣の責任が問われる様になったのです。
まぁ、生活習慣で改善できる部分があるのは間違いないので良いのですけれど。
ただ、同じように食べて同じような生活をしても糖尿病になる人とそうでは無い人もおられるわけです。
そこには遺伝的な要因もあったりするのですね。
生活習慣は大切なのですが、生活習慣という個人の責任だけに問題を絞るのはちょっと違う様な気がしますね。
病気になったのは、個人の責任では無い部分もあるのです。
そういった遺伝傾向が食生活に在る傾向を生んでいるという側面から考えると、むしろ、病気と闘っている苦労をねぎらうことがあったとしても、責めてはならないのでは無いかと思ったりするのです。
「セラピースペースながしま」は、脳梗塞、脳出血、脳性小児麻痺などの中枢神経疾患のリハビリを最も得意としている自費リハビリ施設です。だけど、それ以外でも身体の動きでお困りの方のご相談にも応じさせていただいております。
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