こんにちは♪島根・松江で「幸せに暮らす✨守護天使のメッセージ」をお届けしている ヒーリングサロンはるです。
* 人生の転換期 ②
前回は、仕事人間だった私が、育児休暇に入り、社会から取り残されたような気持ちになってしまったこと。そこから、子育てサロンに参加するようになって、また元気になっていったところまででした。
隠岐島の子育てサロンに通い始めて間もなく、顔見知りのママ友が何人かできました。当時30代半ばだった私より10歳以上も若いママさんもおられましたが、離島で、子育てに向き合っているという同じような境遇で、すぐに仲良くなりました。
私と同じように、旦那さんの転勤で家族一緒に来ている人、隠岐の方と結婚して住むようになった人、生まれも育ちも隠岐の人・・・といろいろでしたが、お互いの家を行き来して交流しました。一緒におやつを作ったり、時にはとれたての魚料理を振る舞ってもらったり・・と、これまでに経験したことのない毎日でした。
そのうち、地元のソフトバレーボールのチームに誘ってもらって、汗を流すようになりました。バレーなんてしたこともなかったのですが、小さい子連れOKだったので、
週に1、2回の楽しい時間になりました。
連れてきている子供は、赤ちゃんから幼稚園に入るくらいまでの年だったので、「子供って、2歳くらいになるとこうなんだ」とか「あのお母さん、子供と楽しそうに遊んでいて、素敵だな」など、初めての子育てに戸惑うことの多かった私には、とても勉強にもなりました。
また、私はミシンで小物や子供の服を作るのが好きだったので、同じような趣味のお母さんとは、型紙を貸し借りしたり、どこに行けば布が買えるかなどの話をするのも楽しかったことを覚えています。ママ友たちとは、夏には一緒に海に出かけ、秋には地元のお祭りに行き、イベント行事のときは、一緒にフリーマーケットを開いたこともありました。
実家からも遠く、子供のちょっとした体調不良などでも心配してしまう性格の私にとって、隠岐でできた知り合いとの交流は、とても心強く、ありがたいものになりました。また、それまで「仕事でもらう評価」が人生の柱だった私にとって、「仕事から離れた自分」を体験するとてもいい機会になったと思います。
最初は、仕事をしていない自分が不安で仕方がありませんでした。でも、バレーボールや裁縫といった趣味を楽しんだり、ずっと年下のママ友と子供たちを遊ばせたり、自然の中へ出かけたりする中で、「楽しみは、自分で見つけることができる」ということが分かったことは、大きな財産でした。
隠岐島での生活をスタートして2年が過ぎた頃、2番目の子供が生まれることになりました。育児休暇中に下の子を授かった場合、そのまま産休、育休が取れる制度を利用することができたので、結局4年間、仕事を休むことになりました。
隠岐での生活は楽しかったのですが、2番目の子供は地元の松江で出産することになり、長女を連れて実家に戻ることにしました。しかし、実家で過ごした数ヶ月は、私にとって、新しい苦難と直面することになるとは、その時は思ってもいませんでした。
2番目の子供が生まれてからの「大変な日々」のお話は、また次回で!
お読みいただき、ありがとうございます♪
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