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山陰スピリチュアル紀行

宍道の神社めぐり~出雲国風土記からみる宍道地域~

大森神社~女夫岩遺跡~石宮神社~日吉神社~菅原梅ノ木大教会~美瀧山岩屋寺~来待神社、海雲山雲松寺~佐為神社~氷川神社

梅の花が咲き誇る早春の宍道。「玉造温泉と出雲(斐川)の間」「出雲にたどり着くまでの通過点」ぐらいにしか知られていませんが、その歴史は古代にまでさかのぼり、出雲国風土記にも宍道(ししぢ)の名が記されています。
今回は、“近くて遠い”宍道の魅力を探る小旅行に出かけました。
<ご案内・配布資料作成: 宍道歴史案内人・五百川 秀男氏>

大森神社

現在、宍道には30以上の神社があるそうです(地元の方でも正確な数は把握しておられません)。スタートは、風土記の「宍道社」に比定される大森神社から。
小雨降る中、参道の入り口にある、灯篭を背負った亀に迎えられ鳥居をくぐります。
安閑天皇も配祀されている境内では、五百川さんから随神門に安置されている右大臣と左大臣のいわれ(元々朝廷に仕えた官吏)や特徴についてもお話しをしていただきました。それにしても、綺麗に掃き清められ、気持ちの良い神社でした。
出雲国風土記記載  延喜式内社
■主祭神    大穴牟遅(オオナムチ)
■配祀神    須佐之男命 少彦名命 事代主命 安閑天皇 出雲建雄(イズモタケオ)
■合祀神    建御名方(タケミナカタ)神 誉田別(ホンタワケ)尊 伊弉冊(イザナミ)尊 国常立(クニノトコタチ)尊 天御中主(アメノミナカヌシ)
■本殿      大社造変態
旧宮地は2説あり、一つには本郷大森。もう一説は佐々布本郷、宍道川(今の佐々布川)の西側の神籬ヶ坪(今の女夫岩)のところに鎮座する大森明神と称していました。

所在地: 松江市宍道町佐々布738

女夫岩(めおといわ)遺跡

県中央家畜市場入り口から入り、敷地北側の道の中程に唐突に現れる「出雲国風土記登場地」の石碑が、遺跡への登り口の目印。
女夫岩遺跡の二つの巨石は古くから「女夫岩」「宍岩(ししいわ)」とも呼ばれ、信仰の対象になっていたそうです。周辺は発掘調査が行われ、古墳時代中期(5世紀)頃の祭祀に使われたと思われる土器が発見されたことから、古墳時代にさかのぼる祭祀遺跡である事が確認されています。
一時は祭礼が途絶えていましたが、現在は所有者の大森神社がお祭りをされています。
所在地: 松江市宍道町白石 (山陰自動車道 女夫岩トンネル上)

石宮神社

宍道の云われとなった「猪石(ししいわ)」が、鳥居の左右に鎮座しています。道路沿いにあり、車で乗り付けられる石神さんとして有名。
出雲国風土記 意宇郡宍道郷 (現代語訳) 
“宍道郷。郡家(ぐうけ)の正西三十七里の所にある。
所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)命が、狩りで追いかけなさった猪の像が、南の山に二つある
一つは長さ二丈七尺、高さ一丈、周り五丈七尺、
一つは長さ二丈五尺、高さ八尺、周り四丈一尺。
猪を追う犬の像、長さ一丈、高さ四尺、周り一丈九尺、
その形は、石となっているが、猪と犬以外のなにものでもない。
今でもなお、存在している。だから、宍道という。”
引用:島根県古代文化センター編(2014)「解説 出雲国風土記」(今井出版)より
ここで五百川さん、ポケットからメジャーを差し出されました。出雲国風土記に記載された「猪の像」の周囲の長さと一致するか計測しようというもの。
計測開始
普通に地に面した物を測る時には、地面と平行に取り囲むように計測しますよね? しかし、風土記の長さと一致しません。
五百川さんは、風土記の時代の長さの測り方は、まず石の先端、地面と上端との中間(一番出っ張っているところ)から垂直に上がって、一番高いところを経て反対側の一番出っ張っているところまでを測るのだと教えていだき、実際に測ると…見事に「一つは長さ二丈七尺」(約8m)! 風土記の計測の仕方は、山もすべてこの方法なのだそうです。
測り方〇
出雲国風土記記載  延喜式内社
■祭神      大穴牟遅命
■御神体    犬石
所在地: 松江市宍道町白石638

日吉神社

日吉神社はもと山王社と称えていました。社伝によると、近江国の坂本にある日吉大社から勧請し、当地に足を留めて坂本の姓を名乗り、祠を造営し山王社に神霊を奉安してこの地の氏神と定めたということです。
来待山王は日吉大社から勧請の由緒正しい神社として、松江藩主松平家が厚く信仰し、神紋も「五三桐」のほかに「徳川葵」と称される葵の紋が使われています。
本殿を前に右に子猿を抱いた母猿、左に父猿が置かれています。よくみると、父猿が手に何か持っています。
「さて、何をもっているでしょう」
こんな感じでクイズを楽しみながら説明は続きます。(答えは桃)
■祭神       大山昨命(オオヤマクイ)命
■本殿   八幡造(流れ造り)
■神紋   五三桐・徳川葵
■境内社  宇賀神社  祭神 保食神(ウケモチノカミ)
      八雲神社  祭神 須佐之男神
所在地: 松江市宍道町東来待1173

菅原梅ノ木天神大教会

来待川の上流、大東方向に向かって左に菅原天満宮、右に菅原梅ノ木天神大教会があります。どちらも菅原道真がご祭神です。
菅原天満宮の境内では、合格祈願お礼参りの受験生たちがひっきりなしに参詣をする中、菅野宮司から道真公が詠んだ歌の短冊をいただきました。野見宿禰の墓にもお参りし、お向かいの菅原梅ノ木天神大教会へ。
菅原梅ノ木天神大教会は、菅原道真公のご生誕の伝承地です。
国司として出雲国に赴任された菅原是善卿が遠祖・野見宿禰の墓を訪れた際、奉仕した相元の娘「春才姫」と契られ、承和12年(845)6月25日に男児(牛鹿児丸・後の道真公)が誕生されました。
春才は6歳になった牛鹿児丸を連れて京に上るに当たり、弥栄を祈念して玩具としていた梅の実を庭に植えさせました。後日、不思議にも発芽したのが境内玉垣に囲まれた梅の木です。核に牛の鼻繰(はなぐり)に似た穴があるので「鼻繰梅」と言われています。
菅原梅ノ木天神大教会には道真公の「産湯の井戸」があります。本殿裏の山を背に、梅の木々に守られるように祀られています。(写真は2枚とも菅原梅ノ木天神大教会)
■祭神      天満大自在天神 菅原道真
所在地: 松江市宍道町上来待2182

美瀧山岩屋寺

岩屋寺の創立年代は400年くらい前、慶長時代の年号の板碑があります。中興開山は、第一世覚尊阿闇梨(あじゃり)が天和二年(1682)九月五日に示寂と過去帳に記載してあるので、このころと思われます。
本尊は弘法大師(空海)で、高さ40cmの木彫の座像があります。
本堂脇から山林に入り、うっそうとした森を進むと、岩盤をくりぬいて彫られた十六羅漢が点在しています。よく見ると、仏を守るように龍がこちらを見つめていたりします。 一番奥にある10mほどの滝から流れ落ちる水音は、あたりの静寂を際立たせます。右の写真は、岩窟に安置された白粉地蔵(おしろいじぞう)さん。お参りされた人達が白粉を塗って帰られるのだそうです。(イボ除去にご利益あり)美形でいらっしゃいました。
◇高野山真言宗
出雲国十三仏霊場 第十三番 虚空蔵菩薩
所在地: 松江市宍道町上来待1131

来待神社

その昔(崇神天皇の御代)、人々が大物主櫛甕魂(オオモノヌシクシミカタマ)命が大和の三輪から来られるのを待ったことから、この地の名が来待(きまち)となったそうです。この神社には拝殿がなく、随神門からすぐに神楽殿・本殿となっています。
本殿が三棟あり渡廊で繋がっています。
中世以降「大森三社明神」と称えていました。出雲国風土記には「岐麻知ノ社」、延喜式神名帳には「来待神社」と記載されていました。中ノ社には大物主命、左ノ社には事代主命、右ノ社には五十猛命が祀られています。
出雲国風土記記載  延喜式内社
■祭神 大物主櫛甕魂命
 積羽八重言代主(ツミハヤエコトシロヌシ)
 五十猛(イソタケル)
■合祀  世那加神社(祭神 月夜見命)
■境内社 伊勢神社(祭神 天照大神)
     金刀比良神社(祭神 金山彦神 金山姫神)
■神紋  二重亀甲剣花菱
■本殿  大社造変態
■随神門・神楽殿有り
所在地: 松江市宍道町上来待242

ふるさと森林公園

長い一日だった~。朝から巡った社寺は10カ所。記載した以外にも鞍馬寺(あんばじ)で宍道の宝・毘沙門天立像を拝観させていただいて大満足。
コテージに着いてからも、五百川さん作成の冊子を見ながら復習φ(..)気が付けば辺りは日も暮れすっかり夜。温泉いかなきゃ! 「いりすの丘」で体を温めた後は、手分けして晩御飯の準備。
本日のメニューは、パエリヤと2種類のチーズを使ったチーズフォンデュ。エメンタールチーズとグリュイエールチーズを張り切って計2kgも買ってしまった(-o-:) ワインも開けて、なんて気持ちがいいの~
明日は天気になりますように。そうそう、フォンデュにはパイナップルを忘れずに。超おすすめです。
所在地: 松江市宍道町佐々布3353-2

海雲山雲松寺

宍道湖を望む高台・海運山にあり、後ろは随音寺山、前は宍道湖を隔てて島根半島までの眺望に富んでいます。
篤志家(小豆沢氏)により輪転式経蔵が寄進され、一切経が安置されています。経蔵には僧風外の書した「貝葉蔵」の扁額があります。
蔵の中に設置された「輪転式経蔵」を8人がかりで回してみました。
◇曹洞宗豊龍寺末
◇中興開山 高岳玄勝和尚(文明年間)
◇本尊   大日如来
所在地: 松江市宍道町宍道919-1

佐為(さい)神社

天候に恵まれた2日目。一番行きたかった佐為神社。
この場所の雰囲気、鳥居の佇まい、なんとも趣があります。長い石段を登っているだけで気持ちが落ち着く、また訪ねたくなる神社です。
出雲国風土記によれば狭井ノ社と見え、延喜式神名帳には佐為神社となっています。鳥居をくぐり、長い石段を上がると隨神門があり両脇には木彫神像が安置されています。
出雲国風土記記載
■祭神   猿田彦命   
■境内社  佐為高守社 金比羅社
所在地: 松江市宍道町白石1464

氷川神社

社伝によれば、貞観18年(876)丙午10月11日にこの地方で流行した疫病の平癒を祈願して、京都祇園社から勧請されたと言われています。祇園社と称され、疫病退散、無病息災、開運延寿の守護神として地域の人の崇敬を集め、中世には佐々木氏、近世では堀尾、京極、松平の歴代松江藩主の祈願社とされていました。
明治3年(1870)埼玉県の官幣大社氷川神社の分霊を勧請し、氷川神社に改められています。境内には臥龍山からの滲み水が溜まる洞穴があり、神事に使われていました。現在は、美肌に良いとされています。
氷川神社の禰宜・秦さんは佐為神社・大森神社の他6社の宮司も務めておられ、楽しく宍道の神社を廻れるようにスタンプラリーなどもされています。
■主祭神  建早須佐之男命 櫛稲田姫命
      天忍穂耳(アメノオシホミミ)命 天穂日命 天津日子根(アマツヒコネ)命 
     活津日子根(イツクヒコネ)命 熊野久須毘(クマノクスビ)命 
     多紀理毘女(タキリビメ)命 市杵島姫(イチキシマヒメ)命 多岐都比賣(タギツヒメ)
■境内社 天満宮(菅原道真)蚕養國神社(保養神)
     庚申神社(猿田彦神)歳徳神(大年之神)
     稲荷神社(倉稲魂命)
所在地: 松江市宍道町宍道858


二日で駆け巡った宍道ですが、まだまだ知らない場所が多くあります。自治会ごとに1つの神社をもっている地域は宍道だけではないでしょうか。どこの神社も自分の庭のように掃き清められていて、大事に守られていると感じます。
二日間にわたって宍道のお宝を紹介してくださった宍道歴史案内人の五百川さん、本当にお世話になりありがとうございました。
初夏には「瑞風」の停車駅として賑うであろう宍道に注目です!
協力:社☆ガール 岡寿美子(2017.2.25~26)