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山陰スピリチュアル紀行

大神山神社 奥宮古式祭『もひとりの神事』に参加しよう

大神山神社の本社(里宮)~大神山神社奥宮~大山山頂

毎年、年に1回組み込んでいる1泊2日の神社巡り。今年は大神山神社の奥宮で行われた、奥宮古式祭『もひとりの神事』に参加させていただきました。この神事は毎年7月14日の夕祭を経て15日の深夜に大山山頂に向かい、山頂の池で霊水を汲み、大山では山頂でしか採取できない薬草「ひとつばよもぎ」を持ち帰り、朝祭りの後に信者に分けられます。今年はちょうど、土日に当たり、しかも「大山開山1300年」。参加するしかない! このために去年からリサーチをしてきたのです。
このお祭りの時だけ、幣殿が一般に公開され拝殿左右の部屋に泊まることができます。
今回は、神社に泊まる“おこもり組”と、博労座(ばくろうざ)近くのゲストハウス寿庵に泊まる“ゲストハウス組”で宿泊することにしました。そして、夕祭の後に幣殿で行われる直会(なおらい)では、この日だけ特別に持ち込みで食事もできてしまいます! 本当にスペシャル!

7月14日(土)1日目

大神山神社の本社(里宮)

晩御飯11人分の食事を購入するため、先ず向かったのはスーパーマーケット。大量の惣菜を車に積み込み、大山の麓、尾高にある大神山神社の本社(里宮)に参拝。本社のご祭神は、大穴牟遅神(オオナムチノカミ)、大国主命の別名です。旧社格国弊小社(きゅうしゃかくこくへいしょうしゃ)らしく本殿の屋根には菊の御紋がありました。
お参りの後、相見禰宜さんのお話を聞かせていただきました。
大山は古くは大神山、または火神(ほのかみ)岳と呼ばれ、8世紀前半に編纂された出雲国風土記に、国を引き寄せるため杭として記されています。今のように大山と呼ばれるようになったのは平安以降と思われるそうです。古来より信仰を集めていた大神山において、山そのものをご神体としていた古人が、頂上を拝める中腹に遥拝所を設けたのが大神山神社の始まりで、本格的な社殿が建てられたのは平安時代以降だそうで、本殿が建てられたのは江戸時代。奥の宮の地は冬期の積雪が数メートルに達する所です。冬期奉仕が困難な場所で、冬にお参りすることができるように下りた所に社を建てた。それが段々下って現在の尾高に移して遷座し、冬宮としたのが今の大神山神社本社です。
仏教が広まった神仏習合の時代には、大神山神社のご祭神である大己貴命(オオンアムチノミコト)に地蔵菩薩を祀って、大智明権現(ダイチミョウゴンゲン)の名を称したそうです。明治になると神仏分離で、尾高の冬宮は国弊小社に列せられ、「大神山神社本社」となり、大山の夏宮(大智明権現社)は地蔵菩薩を除き「大神山神社奥宮」として純粋な神社となりました。この地蔵菩薩は大日堂に移され、現在の大山寺になっています。
大山は昔から自然信仰、山岳信仰の地として崇められ、国造りをされた大己貴命を祀りますので産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の御利益があるそうです。
そして、相見禰宜さんとは奥宮で行われる夕祭での再会を約束して別れました。
所在地:鳥取県米子市尾高1025

大神山神社奥宮

本宮で清々しいお参りをすませ大山へ。ゲストハウス寿庵にチェックインの後、近くの豪円湯院で体も清めて奥宮へ出発。夕日を背に日本一長い700mの石畳を歩きながら、もしかしたら金門から陽が差し込んでいるかも…。皆で確かめに行くと!
正に、丁度金門から北壁に向かって差していました。
南光河原の上流、川を挟んで岩壁が左右にそそり立っている場所が金門です。そこから見る北壁は厳粛で静かなパワーがみなぎっているような雰囲気でした。
まるで大山の神様に迎えていただいているかのように、夕陽に包まれながら大神山神社奥宮に到着。
拝殿の左側の女性用の部屋に荷物を置き、全員分の御初穂料を納めて夕祭が始まる幣殿へ。普段、幣殿は参拝料を納める必要があり、また写真撮影もできませんが、この日は特別に許されています。花鳥風月が描かれた天井画、柱は白檀塗という、銀箔を貼った上に生漆を塗ってその化学変化で金色を出す珍しい技法で仕上げられた素晴らしい空間!
是非、実際にお参りされたときにご覧くださいね。
19時頃から粛々と夕祭が進み、終了後には荒神神楽を鑑賞しながら直会で酒盛り、いや、食祭。食べましたよ~、悔いの残らないように(^o^;)
直会が終わると、ゲストハウス組の5人は、おこもり組と朝祭での再会を約束して下山。
途中、姫ボタルに見送られてゲストハウス寿庵に到着。それにしても標高800mとは思えない程蒸し暑い夜でした。
そのころ、おこもり組は神社からお借りした毛布と持参した寝袋で自分の寝場所を確保しますが、私達のような初参加者と超常連さん達で満員御礼の山小屋状態。15日午前1時からの「派遣祭」に備えて暫しの睡眠。ここで寝ておかないと深夜の登山についていけなくなる~。

7月15日(日)2日目 1:00「派遣祭」

早朝、山頂で行われる「もひとりの神事」には、神職さんと共に、先達、剛力の役割を担う方々と神事を見守る崇敬者24人を送る「派遣祭」が1:00(深夜)から行われました。
社☆ガールからは岡が一緒に登らせていただけることになり、また、神事の写真撮影も快く許可いただきましたので、これから先のレポートは写真で見てくださいね。
お祓いの後には、邪気を祓うという日本刀を使った居合の奉納もありました。
境内で行われた特別な湯立神楽
境内で行われた特別な湯立神楽

大山山頂

1:30、大神山神社の神職さん、お籠りをされた約50人の皆様に送られて出発。
いつも登っている、よく知っている道なのに夜だと全く別の山を登っているよう。元谷までは岩と灌木を抜け、元谷から先の行者谷は急登の階段続き。日中は目に鮮やかなブナ林が続く大好きな場所ですが、ペースが速くてついていくのが大変でした。それに厚着をしているので暑かった~。
8合目辺りに着いたのが3時30分頃。確か気温は20度くらいでしたが、夜明け前の空は暑さも疲れも吹き飛ぶ幻想的な美しさ。山頂付近の石室に到着すると、山伏の方の法螺貝の音が響き厳粛な気持ちになります。正に修行。この時4時。

4:30 もひとりの神事

山頂付近の石室での祝詞奏上
山頂付近の石室での祝詞奏上
石室前の梵字ヶ池から霊水を汲み取ります
石室前の梵字ヶ池から霊水を汲み取ります
「もひとりの神事」の「もひ」は水の古語です。大山寺で行われていた弥山禅定という修行が、神仏分離によって写経や納経などを除く部分が神事として大神山神社に引き継がれたそうです。
報道各社に囲まれて薬草のヒトツバヨモギを採取
報道各社に囲まれて薬草のヒトツバヨモギを採取
下山し始めると絶景が!眼下に広がる影大山
下山し始めると絶景が!眼下に広がる影大山
8:00。ゲストハウス組の5人、朝祭に集まったみなさんに迎えられて帰還。神様にお供えされた後分けていただきました。そして、この古式祭の独特な点は、玉串が榊ではなくダイセンキャラボクがお供えされること。神職さんによれば、昔は奥宮周辺に榊がなく、玉串は全てダイセンキャラボクで行われていたため、古式祭では当時のままに残しておられるとのことです。他のお祭りでは榊がお供えされるそうです。大山開山1300年の年に「もひとりの神事」に参加することができ、その歴史と守られてきた信仰を肌で感じた2日間となりました。
ヒトツバヨモギは乾燥させてお茶に
ヒトツバヨモギは乾燥させてお茶に
所在地:鳥取県西伯郡大山町大山1
協力:舩越 さちよ&岡 寿美子(社☆ガール)