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山陰スピリチュアル紀行

伯耆国の式内社めぐり(倉吉&湯梨浜編)

倭文神社 波波伎神社 洞光寺 国庁裏神社 伯耆国分寺跡 倭文神社 福富神社

秋晴れの暖かな日、まさに小旅行にぴったりの一日です。
今回は伯耆の国の東端、倉吉&湯梨浜まで出かけてきました。

倭文(しとり)神社

松江市役所に集合し、まずは米子まで移動。それから山陰道を走る事1時間ちょっと・・・湯梨浜町の「伯耆国一宮」、倭文神社へ到着です☆
「伯耆国」は鳥取県西部を中心とする地域で、ここ湯梨浜は東伯耆と言われていたとのこと。倭文神社の御祭神は、主祭神の建葉槌命(たけはづちのみこと)を含めた7柱。
創立当時のこの地方の主産業が倭文(しづおり)の織物だったので、倭文部(しとりべ※1) の祖神である建葉槌命を祭神として祀られたそうです。

ちなみに「倭文神社」というのは全国に十数社あるそうですが、一番西に位置するのが鳥取県とのこと。ご祭神として大国主命の娘、下照姫命(したてるひめのみこと)もいらっしゃいますが、社伝によると下照姫命が出雲から海路御着船従者と共に現社地に住居を定め、当地で死去されるまで安産の指導に努力され、農業開発・医薬の普及にも尽くされたそうです。「むくろじ」の木など、多くの木々に囲まれた、とても落ち着く神社でした。
所在地:鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
※1)織物を扱う部族のこと

グリル&ピッツァ カッティーナ

倉吉まで移動し、ちょっと早めのランチです。
お店&は「グリル&ピッツァ カッティーナ」
名前の通りピッツァやパスタ等、イタリアンの豊富なメニューが揃っています。今回はメンバーの多くが「週替わりランチ」をチョイス♪ 限定15食の人気メニューですが、ギリギリ間に合いました(^^)
サラダビュッフェにスープにメイン、さらにデザートにと・・・本当に盛りだくさんのとってもおいしいランチでした。
ごちそうさまでした☆
所在地:鳥取県倉吉市福庭町2-70

波波伎(ははき)神社

ランチの場所から車で5分。次に向かったのは「伯耆国二宮」の波波伎神社です。
ここで倉吉市観光ガイドの福本さんと合流し、さっそく参拝しました。
こちらの主祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)です。古事記にある「国譲り神話」、その中で大国主命より国譲りの判断を委ねられた事代主命は、高天原の使いに「承知しました。」と言い、天栄手(あまのさかて)を打ち、乗っている船を槇垣(まきがき※2)に変え、そこにお隠れになります。その槇垣が、この波波伎神社と言われているそうです。事代主命は、八重事代主命(やえことしろぬしのかみ)ともいい、たくさんの物事を知り進むべき道をはっきりと示す力があったことから「時代や時流を読む」縁起があると言われています。
そして、こちらの境内にはもう一つ見所が。
古墳時代後期の円墳「福庭古墳」がありました。恐る恐る入ってみましたが、中は綺麗、そして思ったより広かったです。
そしてそして、個人的に今回の神社めぐりで最も行ってみたかったところ・・・それは、事代主命が上陸されたと言われる「御旅場(おたびば)」です。
波波伎神社からほど近くと言う情報と手がかりの写真を元に、福本さんや地元の方に相談し・・・ようやくたどり着きました!! 住宅地の中にあり、一見すると分かりませんが、確かに写真のとおりの風景。上陸地と言うことは、昔はここまで海岸だったんだと思うと、時の流れを感じます。
所在地:鳥取県倉吉市福庭654
※2)青柴垣のこと

洞光寺(とうこうじ)

予定にはありませんでしたが、福本さんより波波伎神社に隣接する洞光寺さんに素晴らしい仏像があると伺ったので、それではとお邪魔しました。
「千本地蔵」は寛永年間(1624年~1644年)に奉納されたものとのこと。とてもきらびやかなお地蔵さまに拝謁し、一体一体を見つめながら静かな時間をすごす事で、心が洗われました☆
所在地:鳥取県倉吉市福庭182

国庁裏神社

さぁ、ここから伯耆国の中心地、国府に向かいます。
伯耆国府跡は現在説明板が残っているのみですが、このすぐ近くに国庁裏神社があるので、そちらにお邪魔しました。
国庁裏神社の主祭神は大己貴命、少彦名命の2柱。国造りの神様です。こちらは伯耆国総社と記されていますが、神社の由緒書きによると、和銅2年(709年)に当時の伯耆守が国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うことになったそうです。
所在地:鳥取県倉吉市国分寺426

伯耆国分寺跡

国庁裏神社からほど近くの国分寺跡国分尼寺跡へも伺いました。
現在は公園になっており、地元の方々の憩いの場となっていますが、当時は政治の中心地!
それを思い起こさせる史跡の数々が今も遺されています。隣接する国分尼寺跡である「法華寺畑遺跡」は、西門・板塀・柱が復元されていて、その建築の様式から、最初は国庁に関連する役所として使われ、その後国分尼寺として利用されたとのことです。
所在地:鳥取県倉吉市国府 国分寺

倭文(しどり)神社

福本さんとお別れし、向かうは「伯耆国三宮」の倭文神社
クネクネ~っとした細い道をひたすら進み、たどり着きました。
延喜式神名帳に載っている神社(式内社)で、伯耆国六社の一つです。
こちらの名前も、湯梨浜の倭文(しとり)神社と同じく、倭文(しづおり)から来たもののようです。
昔この一帯は織物の技能を有する集団が移り住み織物が盛んだったとの事。御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)、武葉槌神(たけはづちのかみ)、下照姫神(したてるひめのかみ)です。
社伝によると、経津主神が天照大神の命により出雲へ赴くときに討征軍の陣営に当てられたのがこの地であったとのこと。なので、戦神としても信仰が篤かったそうです。ここもたくさんの木々があり、自然のパワーあふれる気持ちの良い場所でした♪
所在地:鳥取県倉吉市志津209

福富(ふくどみ)神社

帰り道でもう一社「福富神社」を訪れました。
こちらの御祭神は国狭槌命(くにのさづちのみこと)、日本書紀の天地開闢(てんちかいびゃく)の場面に登場する神様です。
また、この福富神社は〈因幡伯耆国開運八社めぐり〉のうちの一社で、その名の通り「幸運と富貴を招く」とのことです。心なしかお参りにも気合が入ります(^^)
所在地:鳥取県倉吉市福富326
今回も盛りだくさんの伯耆国めぐりとなりました。
境内や周辺がとても自然豊かで、ハードながらも心地よいパワーをいただけた1日となりました。今回は回りきれませんでしたが、伯耆国には魅力的な神社がまだまだたくさんあります。
鳥取県中部、また是非訪れたいです☆
協力: 社☆ガール 福井 晴子(2016.9.11)